食い尽くし系は大食いとは似て非なるものである|食い尽くし系の定義を今一度確認しよう

食い尽くし系という存在。

なんとなく聞いたことはあるけれど、ただの大食いと何が違うの?

人より胃袋が大きいだけなのに、そんなに批判されるなんて可哀想なんじゃない?

こんな風に思っている方も多いのではないでしょうか。

しかしただの大食いであるならば、こんなに被害を訴える声が挙がることはないはずです。

問題なのは、「たくさん食べる」ということではありません。

今回は、食い尽くし系とただの大食いの違いについて考えていきます。


目次

食い尽くし系=ただの大食い? 

食い尽くし系が何故ただの大食いとは別の概念とされているのかが理解できない、という方がYahoo!知恵袋に次のような投稿をされました。

食い尽くし系ってただの大食いとは違うの?

昨今、しばしば耳にする「食い尽くし系(夫/彼)」なのですが、

何度熟読したり、熟考したりしても、理解出来ません。

何故、単なる「大食漢」ではなく、別概念として提起されてしまうのでしょうか?

また殆どの場合、女性が男性に対して非難する文脈で用いられるのですが、「適量?を察しろ」という、所謂「話を聞かない男、地図が読めない女」みたいなものなのではと思うのですが、如何なのですか?

要は食事・食料を準備する女性が想定している「適量」というものを、理解したり、察したり出来ない男性を非難、否定するために作られた造語ではないのでしょうか?

正直、何度何度熟読したり、熟考したりしても、男性にとっての「適量(としての食事・食料)」を想定出来なかったり、準備出来なかったりする女性の我儘や言いがかりとしてしか理解出来ませんでした。

あるいは自分が設定・想定した「適量」に合わせろ、察して弁えろという方が適切かも。

何故ならば、如何な「大食漢」でも数千個、数万個。あるいは数千杯、数万杯、飲食は出来ないのですから。

引用:Yahoo!知恵袋


・・・なるほど。

「適量を準備できない側の我儘」「被害を訴えている側が一方的に適量を察しろと言っている」と感じているのですね。

実際に自分が食い尽くしの被害を受けたことがない場合には、被害を訴えている方に対して、このように「ただの大食いに文句を言っているだけだ」と思うこともあるのかもしれません。

しかし被害者側が訴えているのは「大量に食べられるのが困る」ということがメインではないのです。

食い尽くし系とただの大食いの違い

お腹いっぱいになるには人よりたくさん食べる必要がある人はいます。

胃袋の大きさが違うことは何も問題はありません。

たくさん食べたい人はたくさん食べてください。


自分の分を食べ終わった時にまだお腹がすいている、そんな時にとる行動が食い尽くし系なのかただの大食いなのかが分かれるポイントになるのです。


食い尽くし系と大食い:具体的な行動の違い 

自分の分を食べ終わってもまだお腹がすいている時の行動として、ただの大食いは

大食いの人の行動

  • 追加で注文する(外食時)
  • 大皿料理が明らかに残っている時には同席している人の許可を取ってからもらう
  • 今度からもっと多めに用意してほしいと伝える(誰かにご飯を作ってもらっている場合)

こんな感じでしょうか。

当たり前ですが、許可もなく自分以外の人の分まで食べるようなことはしません。


同じような状況になった時、食い尽くし系はちがいます。

食い尽くし系の行動

  • 「もう食べられないでしょ?食べてあげる」「そんなに食べるの?」などと言って他の人の分も強引にもらおうとする
  • 大皿料理は同席している人の食べるペースはおかまいなしで好きなだけ食べる
  • これだけじゃ足りないと言って配偶者や子供の分も奪って食べる

ただの大食いとの違いは明らかですよね?

食い尽くし系には人を思いやる気持ちが一切ありません。


食い尽くし系は察することが苦手どころかほぼ不可能

察することが苦手な人はいますよね。

言われなくても察しろよ!というのは、いささか横暴だと感じることも確かにあります。

しかし食い尽くし系は「察することが苦手」どころではありません。

そんな次元ではないのです。


例えばピザ8切れを4人で分けるとなった時、1人2切れだということは子供にでもできる簡単な計算です。

ところが食い尽くし系の場合は平気で4、5切れ食べます。

これって頑張って察しないと分からないことでしょうか?

さすがにこれは「察するのが苦手だから」で済まされるものではないと思いませんか?

自分がたくさん食べられるなら、他の人が1切れになろうとどうでもいいのでしょうね。

「察することが苦手」なのではなく、そもそも察しようという気持ちがないのです。

ただの大食いなら2切れしか食べません。当然です。

もっと食べたいと思っても我慢をするし、他にも何か注文していいか提案したりするだけです。


食い尽くし系は「自分が一番得をしたい」自己愛の強さが顕著

もっとたくさん食べたいなら、他の人の分を減らすことなく自分の分を増やせばいいだけの話です。

ピザが2切れずつで足りない時、許可なく自分は4切れで誰かが1切れとしてしまったら、それは食い尽くし系です。

自分も2切れで、そして自腹でサイドメニュー等を追加するならただの大食いで何の問題もありません。

自分の分を増やすために許可なく他の人の分を減らすのか、自分の分を増やすために食べ物を追加するのか。

食い尽くし系とただの大食いの大きな違いは、ここにあると思います。


特に食い尽くし系は人より多く食べたい。自分が一番多く食べたい。自分が一番得をしたい。という思考回路があります。

だからシェアする料理を誰よりも早く掻き込むのです。

シェアする料理は早い者勝ち。早く食べれば食べるほどたくさん食べることができ、勝ちなのです。


食事を共有して会話を楽しむという概念は、残念ながら食い尽くし系にはありません。


大食いの人の中には早食いの人もいるでしょう。

でも、大食い・早食いだからと言って、他人の分まで我先にと食べることはないですよね。

これも食い尽くし系との決定的な違いです。


食い尽くし系とただの大食いは別の人種である

食い尽くし系とただの大食いの違いが伝わったでしょうか?

食い尽くし系の被害者たちは、「たくさん食べられるのが嫌」「自分の中の適量を察してくれないのが嫌」、それだけで悩んでいるという単純なものではありません。

「自分の分」を奪われることへのストレスを抱えています。

他人を思いやることのない自己愛の強さや自他境界の曖昧さに辟易しているのです。

そのような人間とただの大食いを一緒にしてしまうのは、大食いの人が可哀想だと思いませんか?

誰かを食い尽くし系かもと思った時、もしくは自分が誰かに食い尽くし系だと言われた時、食い尽くし系なのかただの大食いなのか、本記事を参考にして判断していただけると幸いです。

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