自分が食い尽くし系だったと気が付いたら、まずは何をしたらいいと思いますか?
謝罪でしょうか?
それも大事ですが、もっと大切なのは反省し、その後の行動を改めていくことです。
食い尽くし系のニュースを見て悟った人の話
2023年10月、食い尽くし系がYahoo!ニュースとして掲載された当時、こんな質問がYahoo!知恵袋に投稿されました。
【懺悔】「食い尽くし系」のニュースを見て、自分を悟りました 学生の頃から、友人知人と居酒屋に行ったり、焼肉に行ったりしても 私は一切悪気がなく、せっかく食事に来たんだから、できるだけ腹いっぱい食べるぞ! という普通の考えだけで食べれるだけ食べていました。 一緒に行った友人には「おまえ食い過ぎじゃね?」と言われたり 「え?もう無いの?一人で食べたん??」みたいな事を言われてたのですが 私はむしろ良く食べて褒められてるぐらいに感じてました。 もっと食えるぞ!ぐらいの感じですかね。 友人の結婚披露宴に参加した時も、後半は皆がテーブル移動をする感じになって 行った先のテーブルの食事が残っていたら、手を出して食べたりもしてました。 目の前に食べ物がある、誰も食べてない、じゃあ食べる。という普通の(だと思ってた)感覚。 「いやいや、食うなって笑」ぐらいの感じで突っ込まれてましたが、 それもふざけたツッコミぐらいに思ってました。決して悪いことではないと。 ある日、また友人グループと居酒屋に行ったとき、私はとてもお腹が空いてたので 到着した唐揚げを、自分の前に置いて食べだしたのですが、 テーブルにいるメンバーがシーンとなって、 「ずっと前から思ってたんだけど、それやばいよ」と真顔で突っ込まれました。 でも、唐揚げは全部食べていいと言ったので「そう?」ぐらいの感じで完食。 それから急に食事に誘われなくなったのが12年ぐらい前の話です。 特に今まで、その体質を変えたりもしなかったので、お腹が空く、目の前に食事がある、食べたい分食べる。を繰り返してきました。 で、、ネットやテレビで「食い尽くし系」のニュース・・。 何もかも全部が自分の事を言ってると思いました。私自身「食べる」という行為は 悪いことじゃないからなんでもいいぐらいの感じでした、 もちろん食べ物を分けて食べることも理解できますが、大皿に盛ってるってことは 自由なんだし、好きなだけ食べていいものと、本気で思ってました。 食べる?ってお菓子の袋が空いてるのをこちらに向けられると、袋ごともらって全部食べたりもしました。なんか文句言われてたと思いますが だって、食べる?って言ったのに・・と、こちらが理不尽に感じるほどでした。 その「食べる?」には、見えないキーワードで「適量」とか「味見してみる?」みたいな 事だったのだと、そしてそれを皆が理解出来ていることを知りました。 どうして自分がこんな感覚なのか、初めて調べに調べました。 おそらく、私の場合は、ADHDの可能性がかなり高いと行き着きました。 食べ物の事だけではなく、それ以外のこともADHDの症状にあまりにも該当するからです。 「言わなくても悟る事」「理解し合ってること」「暗黙のルール」 こういうのが、実は全然わからなかったりするし、放置もしてました。 食い尽くし系ニュースを通じて、自分の行いと、自分はADHDなのではないかとい疑いにも到達できました。 一度病院にも行こうと考えていますが、気になることはこれまで迷惑を掛けた古い友人達です。 ある日を境に10年以上疎遠なっています。 今回のニュースで、「あいつだな」と思っているかもしれません。 いいタイミングなので、謝るのは有りでしょうか? 電話番号で自動で登録されたLINEはあります。電話番号もあります。 もし私と同じように、食い尽くし系の人がいるとしたら 育ちや性格ではないと思います。ADHDの可能性が高いです。 その場合、気をつけて直せるものじゃないかもしれないのですね・・ 私がこのニュースで悟った事は もしかして、言われなくても量や個数を見て、その場にいる人の配分を 皆が口に出さずとも考慮して食べるものだったのか??という事でした。 むしろ食べ物にケチケチしたこと言ってくるなぁぐらいに思っていたのですが・・ ケチとかケチじゃないとか、そういう概念の話ではないのではないか?と気づきました。
Yahoo!知恵袋より引用
10年以上前の学生時代と友人とのやりとりを振り返って、自分が食い尽くし系だったかもしれないと気が付いた質問者さん。
友人とはもう長い間疎遠になっているそうです。
謝罪は必ずしも必要ではない
質問者さんはニュースが話題になったことをきっかけに友人たちに謝りたいと思っているそうです。
いかし、もう10年以上疎遠になっています。
今さら謝ることで得られるメリットはなんでしょうか。
友人たちにとっては当時あれだけ指摘したのに全く聞く耳を持たなかったから連絡を取らなくなったのです。
他人に指摘するということはかなり精神的に労力がいることです。しかも全く聞き入れるそぶりもなかった姿には落胆もしたことでしょう。
今さらになって当時のことを思い出すことの方がいやなのではないでしょうか。
質問者さんは謝って友人たちとまた人間関係を構築し直したいというよりも、謝ることで自分がスッキリしたい気持ちが強いように感じます。
10年経ってから気付いてもときすでに遅し。
それぞれ家庭をもったり仕事をしたりと当時とはちがうライフスタイルを送っている中で、良い思い出ではない旧友から連絡が来たらちょっと心がザワッとしそうです。
もちろん謝罪を受け入れてくれる友人もいるかもしれませんが、私だったら「だから何?」と思ってしまいそうです。
ADHDを言い訳にしてはいけない
質問者さんは自己診断でADHDかもしれないと疑っており、さらにADHDだとしたら気を付けて治せるものでもないと言っています。
本当にADHDなら特性のタイプによっては暗黙の了解がわからず、自分の食べてよい量が判断でいないということはあるかもしれません。
しかしADHDを言い訳にしてはいけないと思います。
当時からかなり友人にはっきりと指摘されたいたのにも関わらず、軽いノリで聞き流し自分の食欲を真っ先に満たしていました。
ADHD以上に相手への気遣いや思いやりのなさが目立つような気がします。
質問者さんは実際にADHDだと診断されたわけではないですしね。
ここにも過去の過ちを病気のせいにして自分の否を軽くしたい心理が垣間みえます。
人は反省し、成長することが大切
過去の過ちは取り返しがつきませんが、この質問者さんは食い尽くし系であることを自覚してからは自分でルールを決め、食い尽くさないように気を付けるようになったということです。
そこが素晴らしいことだと思います。
友人たちに謝るべきかどうか、ADHDかどうかは大きな問題ではないと思います。
今から自分がどう変わっていけるかという点が最も重要です。
食い尽くし系は生まれ持った性質もあるでしょうが、育ちも影響します。
家庭環境によっては、大皿盛りで食事が出る家だと早い者勝ちで配分をわきまえないという環境もありますし、男尊女卑で「男はいくら食べてもいい、女は残り物」なんて差別が当たり前の家庭もありえます。
大人になって冷静に考えるとどちらがおかしいかは明確ですが、子どものうちは家庭環境の違いなど気付けるはずもないので、こういった家庭で育つことで食い尽くし系が生まれやすいことは否定できません。
(注)大皿料理の家の子どもが必ず食い尽くし系であると入っていません。
しかし、人生を歩んでいく途中、どこかのタイミングで気付くきっかけがあったとしたら、そこで改善することが大切です。
質問者さんは学生時代には残念ながら気が付くことができませんでしたが、10年後に気が付くことができたのです。
きっとまだ30代前半から半ばくらいの年齢でしょう。
まだまだ人生は長いです。これからも多くの人と食事を共にする機会があると思います。
相手への配慮を忘れず、楽しい食事を囲めるようになっていたら、それでいいのです。
食い尽くし系はなかなか治りません。
指摘されてもニュースを見ても、自分が悪いとは思えない人が多いのです。
そんな中、自分の過去の過ちに気付いて反省をし、行動を改めている質問者さんには拍手を送ります。
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